Column

2019/05/01

日越結婚物語 第2回:両親とのご対面!

結婚承諾求め2000キロ

 愛の告白をした翌日、僕は初めて彼女の実家が、ベトナム北部、ソンラ省であることを知った。そこはホーチミン市からはるか2000キロ彼方にあるという。なんと?! 驚いて思わず彼女にもう一度聞き返したほどである。今日でこそ飛行機でホーチミンから首都ハノイ・ノイバイ空港へ移動し、小型プロペラ機に乗り継いで彼女の田舎、山岳地帯にあるナサン空港へ40分くらいで行くことが可能になったが、その当時は未だハノイからオンボロ小型バスに乗り 換え、漸く車一台が僅かに通れるくらいの葛折りのでこぼこ道を所要時間18時間かけて移動するというとてつもなく大変な道のりだった。(*2019年5月現在、ノイバイ・ナサン間の空路は閉鎖中で、2022年再開予定と言われています)

昇降ドアの外れたバスには窓ガラス一枚としてなく、まったくの 吹きっさらし状態! 常に風塵が四方から車内に舞込み、とても じゃないが、まともに目もあけていられないほど。おまけに、その 頃のベトナムバスは個人営業がほとんどで、収益効率を上げるためか常に定員以上の集客は当たり前。席に座れれば儲けもの!? だが、案の定、僕らの座る席はどこにも無く、ローカル客でことごとく埋め尽くされ、しかも途中途中で乗客を拾いながら進むため車内は直ぐに乗客で満杯!!  結局、そのまま立ち放なしで揺られて行くはめとなった。

ハノイ市内を西北西に抜け4時間くらい走ったところでバスは山道に入り、そして景色は一変した。目前には未舗装のデコボコ道。時速10キロ以上はとても出せない悪路が広がる。と、そんな時、ドア付近に立っていた僕はドアの脇に取り付けてあった屋根に続くパイプ梯子に気付いた。屋根には乗客の荷物が満載されていることは乗車前から知っていたが、簡単にそこへ梯子で登れるとは思っていなかったので僕は彼女に目配せし、「上に行こう」と誘った。 どのみち車内はすし詰めの押しくら饅頭で居るだけで不快、加え て外に押し出されないよう踏ん張ることに彼女もうんざりしていた ので、素直に僕の指示に従うと、さっそく運行中にもかかわらず 二人で屋根に乗り移り、荷物に囲まれ揺られて行くことにした。 偶に突然、目前に現れる木の枝さえに引っかけられないよう注 意さえすれば何とも快適な眺望と揺られ心地。山間の悪路のせ いでスピードを出せないバスのてっぺん、そんな中で、ふと象に乗るとこんな感じなんだろうかと思いを馳ながら残りの旅を先へ急いだ。

疲労困ぱい18時間。シケの海を渡る小舟のようなバスの旅。ようやく目的の地に到着するも彼女も僕も前身真っ黒の埃だらけ! すぐにバス停にたむろしていたバイクタクシーと交渉し、彼女の 実家がある場所まで10分ほどかけてのっけていって貰った。が、しかし道行く程に緊張が高まり、家と覚しきところで降りると彼女に導かれるまま母屋の中に通され、ひとまず引きつりそうになりながらも目一杯の笑顔を作り、覚えたてのベトナム語で「こんにちは!」と元気よく挨拶するものの誰もいない、、、、しかたがないので彼女に勧められるままに、ひとまずシャワーを借り先に旅の垢(文字通り真っ黒になりました!)を落とす事にした。

この辺り一帯の生活用水はと云えば全て雨水を貯めたもので粗末なコンクリート打ちの貯水槽につるべを落とし、必要な分だけ水を汲み、たらいに移す方法で洗濯・料理、そして水浴びに利用する。子どもの頃、大たらいにお湯を注いで、その中に座って行水をしたことはあったが、さすがに雨水をバケツに短い木の棒をつけた柄杓ですくいながらの水浴びは勝手が違い、大いに戸惑った。が、そんな様子を気にすることなく、彼女は僕に一通り要領を教えタオルを渡すと直ぐにそこを離れて行った。やむおえず胸の位置が隠れる程度の高さのまき垣で囲まれただけの簡単な作りの水浴び場で慣れぬ手つきで汗と埃を洗い流し始めた。

そうこうしていると彼女のお父さんとおぼしき初老の男性が外から帰って来た! そして水浴び中の僕と目がカチ合った。すぐさま、僕は大きな笑顔で、彼女から教えられていた挨拶言葉を告げたのである。「Xin Chao Ba! (こんにちは、お父さん!)」を連発。しかし、件の男性はただちに目線を僕から逸らすと、すーと母屋へ消えて行ってしまった。「あれ?! 何か気に障るような事でも言ったのだろうか?」と首をかしげつつも着替えを済ませると、水浴び場へタイミング良く迎えに来た彼女と共に母屋へ母屋へ迎え入れられた。

両親とのご対面!!

 いよいよ彼女のご両親と正式なご対面。日も暮れなずみ、ゆうげの支度を整えると彼女の妹が慣れた手つきで土間にゴザを敷 き、そこへ離れの台所から食事を運び込み、ややあって彼女か ら食事にしようと誘われ、ここに座れと指定されたゴザの上に座った。一応、席次があるらしい。

さっきほどまで庭を走り回っていた鶏だろうか、ゴザの真ん中で湯気をほんのり立ちのぼらせ鎮座するその姿に軽い目眩を覚え、「 これ何?」と彼女に小声で問いかけると 彼女は「鶏の丸茹では 大事なお客様をもてなすメニュー。なので、取りあえず私の両親 はあなたのことを歓迎していると思うゎ・・・・」と答えた。その言葉 を聞き、いくぶん僕の緊張はほぐれたものの、肝心のご両親は 未だ席に着いておらず、落ち着こうとすればするほど、目が泳ぎだし、そわそわする自分に心の中で「えいや!」と発破をかけていた。やがて、お父さんとお母さんが笑顔でやって来られ、にこやかに握手を交わし指定席に勧められると宴の開始!

遠慮がちに箸を進める。チラッと盗み見るお父さんの表情はさっきまでのにこやかな表情とは打って変わり、厳粛な表情で僕に矢継ぎ早に質問をしてきた。家族構成から仕事、収入状況はもとより、なにゆえ、うちの娘と結婚したいのかを多岐に亘り尋ねられ、彼女を通訳として介し英語からベトナム語へ、そしてベトナム語から英語へと食事時間だけでは足らず、深夜遅くまでその状 態が続いたのでした。彼女自身、親の説得に結構必至だったようで、この時ばかりは、意訳のワンダーランド、思いっきりアドリブとグリップを効かせあること無いこと僕が言っていないことも適当に大きく膨らまし吹聴! (実際、僕が英語で彼女に伝えた 話のボリュームを1とすると彼女がご両親にベトナムで話す時のそれはだいたい5~7に脹らみ、当然、時間が掛かり、いくら鈍感な僕でも何が行われているのか解るというものです) まぁこれが功を奏したのかは別にして、最後にお父さんから「娘を宜しく頼む」と僕の手を握り承諾の握手をしてくれた。その隣で、お母さんはニコニコ微笑んでいた。

一夜明けると早朝からどこでどの様にこの話が伝わったのか親戚や近所の人達が彼女の実家に押し掛け、僕を見つけると興味津々で質問責め。何せ、ラオス国境に近い山間部の僻地が彼 女の村。先ず外国人が足を踏み入れたと云うだけで地元の人々にとってはビッグイベント! 地元の娘が外国人、しかも日本人と 国際結婚をすると言うのだからもうグレートインパクト!! 村の洟垂れ小僧や真っ赤なほっぺたの女の子達は恥ずかしそうに物 陰に隠れながら、僕の一挙手一投足に歓声をあげ、囃され絶えず注目の的。まさにセレブなみだ。ましてや僕がベトナムにやっ て来る1年前にNHKドラマ“おしん”がこの国で放映されると一挙 にベトナム人の心を鷲づかみにし日本人に対するこの国の人々 の尊崇の念と憧憬と羨望が深く交錯し色濃く残っていた時期。外 国人であること、加えてそれが日本人であれば多くのベトナム人にとって眩しい存在だった。と、まぁそんな時代。

ソンラで話題の寵児と化した僕は、この様なテンションの高いお 祭り騒ぎの中での滞在はつづき、一歩外を歩けば人々がこちらを指さし、振り向きざまに仲間同士でひそひそ話を始めたり、中に はニコニコしながら「おい~~ホンダ~」とか「ヤマハ~~」とか、風変わりなところでは「ア・ジ・ノ・モ・ト!」などと叫びつつ僕らに手を振ったりする人もいて小恥ずかしい思いをした一方、僕自身も目立つことが嫌いな方ではないので、よせばいいのに、ついつい調子に乗って反応し手を挙げ「オ~~イ」と愛想を振りまき笑顔で 応えていた。後日談になるが、彼女の話に拠ると、軽薄に村人と 調子を合わせて返事をしたせいで、僕の名前について村のあちこちで論争が沸き起こったそうである。ホンダかヤマハ。それともアジノモトのいずれかで、、、、(笑う)

さて、次回は予想外の結婚披露宴(突然の結婚式)に突入! 乞うご期待。

(本日より日越結婚物語は毎月1日に更新します)

 

 

 

 

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