Column

2019/06/01

日越結婚物語「第3回:突然の結婚式」

当時の街の様子

 本題に入る前に、ここで当時のホーチミン市内の様子をも説明しておこう。今から遡ること20年前。当時、ホーチミン市在住日本人総数が登録ベースで100人ほど。ニューワールドホテルもなく、外 国人が泊まれそうなホテルはサイゴン川に浮かぶフローティングホテルくらい。なにぶん、艀(ハシケ)の上に宿泊設備をしつらえたようなものだから、居住空間は狭く使い勝手は劣るがそれしかない。しかも、一泊あたりの宿代はUS150$を超えていた。他にも改装前の マジェスティックやレックス、コンチネンタルホテルなどはあったも の西洋人向けの大ぶりの部屋はお世辞にも使い易く清潔とは言えなかった。同様に、オフィスビル草分け的存在のサンワタワーもなければ、日系サービス・アパートメントの雄、レタントン通りのサイゴン・スカイガーデンすらなかった。因みにスカイガーデンが、建つ前は空き地で、ポツンと小さな製氷工場があっただけの様相。 しかも一般的に氷が入った飲み物には手を出すなと言われていたくらい。今後も折に触れ、当時の時代背景などを挿入してゆきたい。

なぜかいきなり急展開

 さて、本題に戻す。今回、彼女の実家を訪れたのは、ご存じの通り彼女のご両親に結婚の承諾を貰いに行くためだけだった。だから無事、挨拶も終え実家の家族や親族との雰囲気にも馴れた僕は、直ぐにホーチミンへ戻ろうと考えていた。ところがどうしたことか、結婚申し込みの挨拶から2日目が過ぎた晩ご飯の席で、彼女のお父さんから突然「明後日、結婚の披露をするから準備する様に」と告げられた。

「ええっ! そんなぁ〜未だそれは早い〜!」

と愕然! 懸命に抵抗したものの、周囲の人々が口々に言う、

“おめでとう”

の祝福の嵐に、僕の声は無惨にかき消された。うつむき肩を振るわせている僕の姿を見て、感動で声にならぬと勝手に解釈したかのお父さんは、「それじゃあ今から準備するからと」

、さっさと後ろ手に組んで 外に出ていってしまった。

僕は、「困ったな〜日本の僕の両親には挨拶へ行って来ると伝えただけだし、まさかいきなり結婚するなんて夢にも思っていないだろうし、、、」

と混乱した頭で、あれこれ考えながら、ふと傍らにいた彼女に目をやると、どういうわけか驚く素振りも見せず至極冷静、それどころか浮き浮きした表情をして微笑んでいた。

「しまった! 謀られた! !」

でも、後の祭り、、、、もっとも、彼女を嫁さんに貰う為にはるばるここまで来たのだから、

「まあいいや。なるようになれ!」

と覚悟を決めた次第。でも、一人になり美しい星空を眺めながら冷静に考えると僕の親族は両親を含め誰もいない。一体どんな結婚式になるのか不安は増すばかりだった。

結婚式の様子

結婚式当日、朝食を終えると、近所のおじさんから借りた一張羅のスーツに着替えろと言われ、言われるままに着替えた。 (借りたそれは水色の上着の無地。スラックスのラインもなく、黄色のシャツに深紅のネクタイ姿は、はっきり言ってマジシャンのミスター・マリックそのものだった。トホホ、、、) その上、事もあろうに何と新郎にも顔に化粧を施すと言い出すではないか!! これでは当に地でゆく“くいだおれ太郎”だ。郷に入れば郷に従え と言うものの、

「これだけは勘弁! 」

と、断固拒否をした。彼女の実家の壁には義兄の結婚写真が飾られている。義兄の化粧を施した その顔は、志村けんのバカ殿がそこにいた。ここで自分が厚化粧した写真を残せば、孫子末代、日本の親戚中の物笑いの種になったことだろう。

迎えの車に乗り会場のソンラ省最大(当時)ホテルへ到着。会場に入ると正面中央に原色の横断幕が張られ、その真ん中にハートで囲まれた彼女の名前と、その直ぐ上に同じ大きさで“ROSIA”と書かれてあった。はて、 誰だ??  “ROSIAって?! ” そう。実はこれが僕の名前らしい。結婚日当日まで彼女の身内全てが僕の本名を詳しく知らず、名前の音を頼りに適当に拾って充てて書かせたらしく、それを見て私は軽いめまいをおこした。気を取り直すと、大音量のBGMと怒号の飛び交う中、賑やかな式が始まった。もちろん、ここで使われる言葉は全てベトナム語。僕は何が何だか判らぬまま彼女の指示に従い緊張し、引きつった顔で言われるままロボットダンスの様にぎこちなく身体を動かしていた。

ここでもうひとつ余談を挟みたい。ベトナムの結婚披露宴に集まった人々について書き留めよう。始めに、参加者の数が半端ではない! 家族・親族・友人・知人・取引先などは日本でも 想定内だが、ここでは、それ以外に親族なら8親等くらいまでが含まれる。加えて、彼女の兄弟姉妹の同級生が同窓会よろしく全てこぞってやってきたのには面食らった。因みに、彼女は5人兄妹の長女であり、それぞれの兄妹のクラスメイト数は次の式が成り立つ。総出席学友数=5人兄弟×小学校から高校までの一クラス当たりの平均生徒数40名。幸い田舎なので級友の顔ぶれは一学年一クラスのみで構成され、学生生活18年間で200 名程度に収まったが、彼女が仮に末っ子だったとしたら僕はきっとその数に失神していたと思う。この人たちも含め総参加者数は 500名に上った。

結婚式に話を戻そう。やがて、来賓の挨拶が一通り済むと、 彼女にせかされ各テーブルへ二人でお酌をして回り、参加者一人一人との乾杯。僕は元来下戸である。(現在は相当な酒飲みですが)つきあい程度には飲むが、家で晩酌もしない。それなのに返杯を拒絶する事は失礼に当たると彼女に言われ、拒否することもできずやむなく胃に酒をしこたま流し込み、開始早々何と式場でそのままぶっ倒れてしまった。むろん後の事は記憶にない。気がつけば布団の中。暫く放心状態で激しい頭痛に襲われながら、これまでの事を必死に思い出そうとした。が、倒れたところまでしか思い出せず、ひょっとして夢だったのだろうかとひとりごちていると、お父さんがやってきて

「結婚おめでとう!」

と祝福の言葉をくれようやく実際に結婚式が行われた実感が湧いてきたのだった。

わけもわからぬままにテレビ放映!

 翌朝8時に目が覚めると、かみさんが今からテレビが始まるので、茶の間で一緒に見ようと言いだした。実はこのテレビ、僕がご両親への手土産としてご挨拶の際持参したものだ。居間に行くと家族、親戚、隣近所に至るまで、テレビの前で既に陣取っている。

「何でみんな雁首揃えて朝っぱらからテレビなど見なきゃいけないの」

と首を捻りながらも、これも新たな身内とのコミュニケーションのひとつと正面に鎮座しているテレビの前の一番後ろに腰を下ろした。しばらくすると、どこかで見覚えのある結婚式場が映し出された。

花に囲まれ中央に映し出されたカップルを見て、僕は飲んでいたお茶を鼻から吹き出した。何と我々の結婚式の模様がテレビ放映されているのである! 彼女に、

「これどういうこと? 」

と尋ねると、

「ほら昨日、ソンラテレビから撮影に来てたじゃない」

という。確 かに田舎にしては少し仰々しいビデオとライトを手にした3~4名 のクルーの様な人を見かけたものの、みな普段着のままだし、足 元はサンダル履きだったものだから、テレビクルーなんて思いも しない! それから延々3時間ノーカットで放映は続き僕が酒でダウンしてからの哀れな姿が画面一杯に映し出されたが、そのお陰で僕の記憶の空白を埋めてくれたのはなんとも皮肉であっ た。

「ここには他にニュースないのかよ〜」

と、かみさんに言うと

「何、言ってるの! これってソンラではビックニュースなのよ!」

と答えが返ってきて、もはや轟沈。返す言葉を失った。これで僕らはソンラ省中のセレブレッティー!  翌日からの地元の人々の反応はどうだ ったかって?  前回書いた“両親との感動のご対面!”を読んで下さい。それに輪をかけた事は間違いないし。更に握手責め とサイン責めが加わったかな。勿論サインは“ROSSI”で(笑)。

次回は結婚直後、奈落の婚姻破棄をお送りします。どうぞ次回 も乞うご期待!

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