Column

2019/09/01

日越結婚物語「第6回:新婚旅行 日本へ」

前回までのあらすじ

1994年ホーチミン市へ駐在員事務所を開設するために赴任してきた僕は、知遇を得たベトナム人男性に紹介された旅行会社で、そこの女性に一目惚れする。出会いから半年で、僕は彼女にプロポーズ。彼女は快く承諾。両親に会いに、ホーチミンから遥か2000キロ離れたベトナム北部ソンラ省へ。やっとの思いで彼女の実家に到着。和やかな宴も途中から質問攻め。なんとか、ご両親からお付き合いの許しを得、挨拶も済みホーチミンへ戻ろうと思いきや予想外の結婚披露宴! その後、地元の人民委員会で結婚届を提出・受理されたものだが「ここでは外国人との結婚届けは受理できない」と、まさかの婚姻強制破棄! ! それから多大な労力と時間を費やし、改めて結婚証明書を手にしたのは披露宴の2ヶ月後であった。証明書を手にし、晴れて僕たちは正式な夫婦となり、力を合わせてが共に働き始めた。そんなある日、日本の社長(ボス)から、仕事の進捗を報告がてらに日本旅行でもと厚意を受けた。瞬時に僕は、その帰国中に僕らの日本での結婚披露宴で、ボスご夫妻に仲人をお願いしたいと申し出た。

新婚旅行 日本へ

ボスから仲人の了承を貰うと早速、ベトナムから日本旅行の準備に入った。今回は出張だけでなく日本での披露宴も併せて計画をしなければならない。これにハネムーンも加わる。当時はネットのない時代、通信は電話かFAXしかなく、なかなか大変な作業だった。招待客は僕の親族・友人たち、それにかみさんのご両親と義妹一同を代表してニュン、それにフランスとスペイン、在日イギリス人などの外国の友人達も含まれた。その数は最終的に120名。この招待客数は、ベトナムの披露宴と比べれば微々たるものだが日本のそれはベトナムのそれのように緩く適当では許されない。

僕が披露宴準備でバタバタしている横で、かみさんは初来日を夢見ては毎日浮き浮きしており、声をかけても上の空。そして日本渡航3日前にフランスの弟分、ミッシェルがパリからホーチミンへ駆けつけた。翌日にはソンラの両親と妹ニュンがバスと列車に乗り継ぎ遙々2000キロを7日間掛けてサイゴンに到着。スペインからのゲスト、カトリーナは僕らが日本到着日当日、関空到着ロービーで僕らが彼女を待ち受ける形で落ち合うことになっていた。今では、丸3日掛ければハノイ・ホーチミン間を列車で移動できるが、 当時ベトナム国鉄には保線にかける予算がなく結果スピードが出せずスーパーカブに抜かれる速度だったので、丸々4日間かかった。

義父母がサイゴンに入る前日にパリから到着していたミッシェル。 190センチを超える紅毛碧眼を間近に仰ぎ見る義父母は、照れも手伝って始めは、おっかなびっくりで話しかけることに躊躇していた。が、暫くして馴れてくると彼にベトナム語であれこれ尋ね始めた。 ミッシェルは何の事だかさっぱり解らない。額にスダレを垂らし盛んに“な・ん・と・か・し・ろ”と僕にアイコンタクトを送るが、 僕のベトナム語も挨拶程度のものでしかなく、しかも肝心要のかみさんも外出中だったので、適当に義父母の話を彼にアドリブを交えて伝えた。結局、ミッシェル同様、二人揃って終始笑ってごまかすしかなかった。

さて、いよいよ日本への出発日。当日がやってきた。計6名の我々一行は粛々と飛行機に搭乗。義父母は飛行機に乗るのは生まれて初めて!  で、二人とも極度に緊張していた。義母は離陸の際の加速Gで、堪らず「チョイ おっ〜い!!」と大声で叫び、並びの席にいた残り5人は恥ずかしさの余り、一斉に寝たふりをして難を逃れた。約5時間半の空の旅は快適で揺れもなく、到着まで何事もなく無事過ぎていった。そして関空に到着 !  無事イミグレを通過し荷物を受け取りホッと一息ついた。

関空で落ち合うことになっていたカトリーナの飛行機が到着するまで2時間ほどあったので、空港内のレストランで、朝食をとることになった。僕は先頭に立ってエスカレーターで下の階へ降りて行くと、かみさんと義妹ニュンそしてミッシェルが後に続いた。ところが下まで降りて上を振り返ると義父母が見あたらない。少し降りてくるのを待ったが、迷子にでもなったのだろうか? と心配になり、下の階に3人をそのまま待たせ、僕はエスカレーターで再度上に移動した。するとエスカレーターの降り口から後方3メートルほど離れたところで、義父母は怯えてお互いひそひそ話をしていた。

どうやらエスカレーターを利用するのは生まれて初めてらしい。 僕はしばらくエスカレーターの降り口脇で、身振り手振りで義父母にそれの使い方を教えた。二人は恐る恐るエスカレーターに乗ろうとするものの足が竦む、、、後ろの客から「早くしろよ!」文句を言われるたび、さらに足が竦むのか、余計に躊躇しなかなか始めの一歩が出せない。仕方がないので、一人づつ僕が背中に背負って下ろすことにした。きっと空港内の人達はきっと僕の事をたいそうな孝行息子だと感心していたに違いない(笑う)もっとも、二人には階段で降りて貰っても良かったわけではあるのだが、、、(苦笑)。

朝食はレストランでとることにした。店の入口脇のワックスで出来た食品サンプルがいくつか置かれていた。好きな料理の番号を告げ、それを用意して貰うシステムである。義父を除き、皆すんなりと好みの食べ物を受け取り席についた。義父はキャッシャーに並び精算待ちをしていた。その姿を見つけやがて席に着くだろうと安心していると、キャッシャーのおばさんが僕を呼ぶのである。どうしたのかと思い駆けつけると 「あの〜お連れの方ですか? これ困るんですけど〜」と義父が持っていた料理にクレームをつけた。別に問題などなかろうと、 おばさんに返すと「これ、ロウ見本なんです」と、、、よくよく見ると確かに、、、

で、見本が置いてあったと思われる場所に目を遣ると、そこは 見事にトレーの大きさだけ空いていた。「ごめんなさい!」と、おばちゃんに謝ると僕は義父の手を引き、見本を元の場所へ戻しに行った。義父は僕らが置かれている状況が全ったく見えていないようで、「何で俺に食事をさせないのか!」とまくし立てる。急いでかみさんを呼びにゆき状況を説明させると、漸く義父も落ち着きを取り戻し“普通の食事”を手にしたのであった。が、事の成り行きを終始眺めていた僕らの席の周囲は大爆笑! 腹筋が大いに鍛えられたと思う。ほんとうに恥ずかしかった。それでも状況が皆目見えぬ義母は、かみさんに「日本人の皆さんって明るいのね〜」と、日本初日の印象を良くしたようだ。この先が思いやら れる、、、、。 とはいえ、日本の食品サンプルを見れば、外国人であればさもありなんなんだけどね。

朝食が終わり一行は関空の到着ターミナルヘ向かった。カトリーナが搭乗しているはずのイベリア航空到着時刻から既に1時間が経過している。しかし、彼女は一向に姿を現さない。僕を除いた5人はベンチにどっぷり腰掛けすやすや寝息を立てている。そうこうしていると突然、場内アナウンスで僕の名が呼び出され た。朝から何度も人に呼び出される日だなと思いながらも早速、イベリア航空カウンターに行き理由を尋ねると、カトリーナは入国管理で、尋問を受けているという? 何事かと不安に駆られながら地上勤の後に従いイミグレの一室に通された。心細なげにうつむき加減のカトリーナは僕の顔を見るなり僕に駆け寄り抱きつき、しゃくり上げながらわんわんと泣き出した。尋問理由をそこに対峙していた係官に尋ねた。どうやら彼女、僕の日本の所在地を書いたメモをどこかで失くしてしまい入国の際、答えられなかったと言う。それで事情聴取になったとのこと。僕が彼女の身元引受人だったので、改めて用意された身元保証書にサインをすると彼女は解放され、やっと既定人員7名が一同に揃う事に相成った。まずは、めでたしめでたし!

関空から自宅のある岐阜羽島までは関空特急はるかと新幹線を乗り継いで約二時間だが、ここヘ来て、ひとりとして取りこぼしが出てはならない! 直ぐに全員僕の目が届きやすい様にと指定席を確保。新大阪で、新幹線に乗り継いで一同が席に着いた途端、僕は昨夜から今朝にかけての疲れがどっと出て爆睡して果てた。余談だが、当時、外国人はもちろん、在外日本人は国内期間限定JR乗り放題のJRパスが利用できた。今回も僕らの心強い旅の味方に大いに役立ったのは言うまでもない。

次回は、「いよいよ故郷の土を踏む」をお届けします。 乞うご期待!!

 

 

親日国ベトナムで、日本ブランドを展開するなら今がチャンス!