Column

2019/12/01

日越結婚物語「第9回:新婚旅行 花の大東京!前編」

前回までのあらすじ

僕は1994年にホーチミン市へ赴任。妻と運命的な出会いをし、 半年でプロポーズ。様々な過程を経て、晴れて身も心も夫婦とな り毎日を過ごしていた。ある日、直属の上司である日本の社長か ら、仕事の進捗を報告がてらに日本旅行でもと厚意を受け、急 遽その帰国中に結婚披露宴を開くことになった。妻を始め義父 母も海外旅行は初めて。道中、色々なことがあったものの、やっ と実家に到着。そして、1995年11月23日、岐阜羽島で行われた 披露宴本番では、MCを任せた悪友・ダン吉の巧妙な演出もあり、僕は感極ま り恥ずかしながら号泣してしまった。それぞれの両親や親戚、悪 友、知人などから祝福を受け披露宴の余韻に浸りつつも、いよい よ僕らの新婚旅行が始まるのである。今回は前回の「名古屋& 岐阜編」に続き、「東京編」(前編)である。

新幹線に大興奮!

さあ、東京出発の朝。快晴の旅行日和。総勢8名さまの旅行参加者の顔ぶれは、かみさん、義父母、義妹の ニュン、ミッシェル、カトリーナ、それに弟の知紀と、この僕。今回の旅で、僕は一日、都内で仕事があるため、その穴を埋めるべく、弟に頼み込んで会社を休ませ、参加してもらった。岐阜羽島駅に到着し、改札を抜け駅のエスカレータでプラットフォームへ。義父母は、エスカレータの使い方に慣れたようで、それに飛び乗る姿が、さまになってきた。僕らの乗車する新幹線ひかり号は午前8時発。出発時刻まで10分ほど余裕がある中、予め全員一列に並ばせ乗車口の前に整列。

僕らの乗る新幹線が来るのを待つ間、2本列車が通過。すると、その通過速度の速さにたまげたらしく、かみさん、義父母、ニュンの4人は顔を見合わせ、口を揃えて、北部なまりのベトナム語で 「オイ・ゾイオイ!(オーマイガッ!)」と驚嘆の声を上げた。まぁ、そりゃそうだろう。岐阜羽島駅のようなこだま号優先の田舎駅だから、高速鉄道の真の実力を目にすることが可能なのだから。加えて、当時のベトナム鉄道と来たら特急ですら最高時速40キロ!  バイクにスピードで負ける代物だったのだからなおのこと。

やがて僕らの乗る新幹線がフォームに入線してくると、ミッシェルはカメラを取り出し、盛んにシャッターを切る。ドアが開き、僕らの指定座席群を見つけると順番にそれぞれの席を振り分けた。僕らの席は進行方向左手の真ん中あたり。やがて、静かに新幹線は動き出す。列車の中は、僕らが座る一角だけがやたら賑やか! 浜名湖が見えて来たといっては、「トレビア〜ン! WOW! ゾイオーイ!」と、三つの言語で感嘆の声があがる。富士山が見えてくると、全員が、窓ぎわに張り付いて声をあげ、盛り上がりをみせていた。幸い、グリーン車だったこともあり僕らの他に客はまばらで、顰蹙を買うまでは無かったものの、僕は終始周囲の目を気にしていた。

ベトナム人一行、人波に酔う

予定通り東京駅へ午前10時15分に到着。僕を先頭に弟を一番うしろに、一列縦隊で階段を下りる。新幹線中央改札口を出て皆が、僕のあとに続いて来ているか後方確認すると、ミッシェルとカトリーナと弟を除いたベトナム勢の4人は、みな顔面蒼白! かみさんが、

「休憩させて!」

 と、いうので、階段を降りきってから待合場所で有名な“銀の鈴”で小休止。訊けば、新幹線フォームから階段を下りる際、前方を行く大勢の降車客の頭が不規則に上下に揺れるのを見て、人に酔ってしまったらしい。さもありなん。今の東京駅のように階段脇にエスカレーターが設置されていた時代でもない。一定の空間の中で、大勢の人々を見るなんて都会のホーチミン市ですらあり得ない。

 予定では、すぐに浅草観音へ参拝することになっていた。30分ほど休憩を挟むと、みな一様に生気を取り戻し、先を急ぐ。浅草界隈なら多少は人出も減るかも?と考えていたのだが甘かった! 寧ろその逆、仲見世は大いに人波でごった返していた。この人混みの中を一人の迷子者を出さずに境内へ進むにはみんなで縦列になり手を繋いで行くしかない。弟を呼んで、例によって僕を先頭に弟が最後尾にして数珠つなぎで進行。何とか一人の脱落者も出さずに、境内にたどり着く。その刹那、突然義妹のニュンがしゃがみこんだ! どうしたのかといぶかる暇もなく、激しくゲロし始めた。酸っぱい臭いが辺り一面に漂うと、ニオイが一行に感染し、連鎖的にゲロが続いた。

 「神聖な場所でゲロとはなんだ!」と思われた参拝客もいたことだろう。「が、 田舎育ちである。許してやって欲しい」と、心で頭を下げた。社務所で、汚物を掃除する道具を借りにゆくと巫女さんらが「大丈夫ですよ、私達で始末しますから」といい、お言葉に甘えて救われて気がした。

 酔も収まり気を取り直し、僕らは参拝。お手水で、手を洗い、口を濯ぎ、そして無病息災の護摩の煙を身体に浴びせ、僕らは厳かに柏手をたたいてお参りをした。手を合わせながら、横目で、ベトナム人一行をチラ見すると、なんと! ベトナム式のお祈りの真っ最中! 中国のお寺を詣でた経験のある読者の皆さんには判ると思うが、合わせた手の中に線香の束を挟み、上下にその手を大きくストロークさせてダイナミックに祈るあのやり方。それを一心不乱にしている僕らの周りに人影は無かった。一通り参拝が済むと、浅草観音の入り口にある大きな提灯を背景に、「大きな提灯ね〜」と、はしゃぎながら記念撮影。

 山門に戻る途中、ふと左手を見ると細い路地が目に飛び込んできた。こっちの通りは余り、人影もまばらで混み合ってなさそうと判断した僕は、 一行をそちらへ誘導。通りを一本外れるだけで、嘘のように人が少なくなる。こんな事なら始めから脇道を通れば良かったと反省するが、これも勉強!

 お腹が空いてきたのでランチは、脇道に入ったところに鰻屋で蒲焼きにした。鰻料理はベトナムでも馴染みだが、胴をぶつ切りにして香草と一緒に煮込んだもの。小骨も抜かずそのままで日本の蒲焼きとは似ても似つかぬ代物。もちろん、僕と弟を除き誰もが蒲焼きは初めての料理。 はじめのうち箸で蒲焼きを突っつきながらメクって裏を見たりのおっかなびっくりだった面々も、一度口にした途端気に入ってくれ それぞれの言語で、“美味しい!”と食べてくれた。

乙女の恥じらい

 午後は、池袋サンシャイン60に遊び、展望台から大東京の街の大パノラマや水族館を目一杯楽しみ、夕刻、当時、赤坂見附の東京全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタルホテル東 京)にチェックイン。部屋割りは次の通り。僕とかみさんで、一部屋、義父母とニュンの三人で、一部屋。ミッシェルとカトリーナ、それに弟の三人で、一部屋。フロアーは16階にあり、港区界隈の町並みが眼下に一望できる素敵な部屋だ。

 夕食後、ホテルのふかふかのベッドで横になり、かみさんと2人、寛いでいると、ホテルの浴衣をぎこちなく身につけた義父が僕らの部屋にやってきた。

「どうしたの?」

と、尋ねると義妹のニュンがトイレに入ったまま30分過ぎても出て来ないという。トイレに籠もるニュンから応答はあるものの、

「ちょっと待って!」

と言うばかり、、、、

 様子を伺いに僕らも義父母の部屋へ駆けつけると、 かみさんがやおらトイレのドアをノックし、ややキツい口調のベトナム語で、

「ニュン早く出てきなさい!」

 と声をかけた。それから待つこと10分、ニュンがトイレを出てきたときには籠城からすでに一時間経過していた。

 何故か彼女は顔を真っ赤にしていた。理由を尋ねると、用便後フラッシュの方法が解らず、中で困り果てていたというわけだ。 無理も無い、ニュンは当時はまだ花も恥じらう女子高生。本人に取ってみれば、恥ずかしいかったろう。べそを掻きながらトイレから出てきた。もっとも、はじめにきちんと使い方を教えてあげなかった僕の責任である。仕切り直して、ニュンのみならず、ミッシェルとカトリーナも呼んで、かみさんを通訳に義父母らに室内の使い方を細かく説明。それが終わって、

「他に質問はありませんか?」

と尋ねると義母がビデを指さし

「そこで洗濯しようと思っていたところだよ」

と応え、思わず僕は仰け反った。あぁぁ〜、、、、よかった。。。

 多少のハプニングはあったものの、当時完成したばかりの東京全日空ホテルは、すべてがきれいで清潔、超近代的な高級ホテルで、しかもフレンドリーなスタッフの皆さんの対応に、一同大満足!部屋から眺める大東京の夜景と共にそのサービスにすっかり浮かれモードになった。

 さてさて、明日は東京2日目。しかし残念ながら、この日の僕は終日仕事なので、 弟に一行の案内を任せ、東京ディズニーランドへ。弟たった一人の引率に多少の不安を覚えながらも、ここまで来たら任せるしかない。花の大東京、後編どをうぞお楽しみに♬

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