Column

2020/02/01

日越結婚物語「第11回:新婚旅行 奈良編」

前回までのあらすじ

 僕は1994年にホーチミン市へ赴任。妻と運命的な出会いをし、半年でプロポーズ。様々な過程を経て、晴れて身も心も夫 婦となり毎日を過ごしていた。ある日、直属の上司である日本の社長から、仕事の進捗を報告がてらに日本旅行でもと厚意 を受け、急遽その帰国中に結婚披露宴を開くことになった。妻 を始め義父母も海外旅行は初めて。道中、色々なことがあっ たものの、やっと僕の実家に到着。そして、1995年11月23日。 それぞれの両親や親戚、友人、知人などから祝福を受け、岐 阜羽島で僕たちの結婚披露宴が行われた。披露宴の余韻に浸りつつ、僕らは新婚旅行へ旅立った。名古屋&岐阜、そして東京へ。道中、色々なことが起こりながらも、皆、楽しく過ごしていた。今回は、”関西編・奈良”である。

三都物語の始まり

 花の都・大東京で楽しい日々を過ごした僕たちは、一路、関西へ下った。駅弁をプラットホームのキオスクで買い込んでから午前6時の東京駅発ひかり号に乗車した。天気は青空が広がる快晴!  新たな楽しい旅が待ち受けているとなると皆心を弾ませ、早朝 からテンションが高い。今朝の朝食、東京全日空ホテルで簡単 なサンドイッチにして貰うこともできたが、昨日、身内のベトナム 人達が、ビュッフェスタイルを好いことに大量に取り込み、東京ディズニーランドでの昼食に充てていたことを知ってしまった僕には、ホテルにそれを用意してくれと頼む勇気は持ち合わせていなかった。

 下りの新幹線は途中、名古屋に停まると弟・知紀はそこで下車し僕らと別れた。彼には会社を休んで貰い今回の東京旅行で、すっかり付き合わせてしまったが、そのお陰で大いに助かった。名古屋駅到着 間際の短い時間に弟は、ベトナムの家族やミッシェル、カトリーナと共に別れのフレンチキスを交わし、照れながら新幹線を降りた。プラットホームで僕らに小さく手を振る弟、そして車内からおのおの両手で大きく手を振り返しながら、やがてひかり 号は出発のベルの音と共に静かに滑り出した。多少肩を落とし、一抹の寂しさを表情に残した別れ際の弟の顔に、僕は、

「お疲れさま、ありがとう」

と、呟き感謝。弟が去って、ちょっと 車内が静かになったのも束の間、それから一時間後の午前9 時頃、京都駅に到着。そこで近鉄京都線に乗換え一路、奈良方面に向かった。

誰が運転するの!?

 奈良に到着すると駅前にあるレンタカー屋で、予約しておいたワンボックスカーを借りた。本日から二日間、この車で 奈良・京都の日本の歴史に触れる旅が始まる。早速、鍵を受け取り、ドアを開け、皆を車に乗せ、最後に僕が運転席へ乗り込むと義父から突如驚きの声が上がっ た!

 「えっ、運転できるの? そんなこと一言も言っていなかったじゃない!」

と、かみさんも驚いている。なんと、かみさんも含めみんな今日の今日まで、僕が車を運転できることを知 らなかったのである。そう言えば、日本へ来てから今日この日 まで、僕には一度も車を運転する機会はなかった。必要な時は親父や弟の車に乗せて貰っていたし、加えて、かみさんにも運転免許を持っているということは出会ってからついぞ一度も話をしていなかったから無理からぬか。

「運転免許証を持っているのか?」

と、義父は不安げに訊ね てきた。

「もちろんです!」

と、笑顔で返す。と、同時に財布からそれを抜いて義父に見せた。しばらく、しげしげと見ていたが、そこに書かれた日本語を読めるわけもなく、僕の顔写真ひとつじゃ今ひ とつ信用できないようで、突然

「俺は車に乗らない!」

と、言い出 した。唖然として、かみさんは義父を宥めるのだが、容易には納得して貰えない。そこで、一計を案じ、駅前のロータリーを2 ~3度回るとようやくその不安が解消され、やっとの事で出発。 ワンボックスカーの窓を開けて、外の爽やかな空気を感じながら、道を進めた。

僕の好きな場所

 ”なにゆえ奈良に来たか?”

と、問われれば、これは全くの僕の個人的理由からだった。実は小学校の修学旅行で、明日香・斑鳩を初めて訪れてからというもの、のどかな風景と壮大な天平浪漫に導かれるようにしてほぼ毎年可能な限り、ここへは足を伸ばしている。 そんな僕の好きな場所を新妻に見せたくて、今回の旅程に組み入れた次第。もちろん、このことが僕の勝手で強引な思いの押しつけであったとしても、かみさんを始め僕の好きな人たちに来て見てもらい感じて欲しかったからだ、、、。そういうわけで、この 日は明日香にある甘橿の丘に始まり、飛鳥寺、法隆寺、唐招 提寺、東大寺など僕のとっておきの場所を訪れた。

 今日訪れた場所の中でも僕が最も好きなのは、甘橿の丘で ある。なぜなら、その頂から眺める風景が僕を万葉の昔に誘うから。ついつい、

「大和は国のまほろば、畳づく青垣山籠れる 大和しうるはし」

 と、往事の和歌が口をついて出てくる。甘橿の丘から見える情景を指さしながら、かみさんに説明し、彼女の手 を軽く握りしめると、彼女は強く握り返してきた。それから斑鳩 の里。そこには1400年の歴史を持つ法隆寺の大伽藍があり、 当時12歳だった僕を圧倒した。過去を生きた日本人がこれほ どまでに巨大な木造建築を造作し、後世に受け継いで来たことに、ただただ深い感動を覚えた幼い記憶は今も鮮明に残っている。そんな話をしながら次々に指さす先を、熱心に追ってい るかみさんの横顔を見て、僕は自分の好きな情景を、愛する人々と共有できる幸せを感じていた。

 行く先々で僕が思い入れたっぷりに語る解説に対し、かみさんを含めベトナム人たちの反応はどうだったろう。彼らにとって 国こそ違うものの田舎の風景など見慣れた光景であり、さして感動はなかったと思うが、やはり異国の風景・建築物はそれなりに興味の対象になり得たようだった。いちばん驚きと感銘を与えたのは、奈良の大仏、東大寺だろう。さすがに、巨大大仏 には皆一同目を丸くし、義父母は息も忘れるほど口をぽかんと開けて見上げていた。やがて、いつものように盛大なベトナム式お祈りを捧げ、そこに居合わせた日本人観光客を驚かせていたが、何よりも一番驚いたのは、祈られる当の大仏さま御本尊であったに違いない。。。。

聞きかじり談義

 ちなみに、ベトナム(当時、林邑国)と日本との交流には、古い歴史がある。736年、東大寺大仏の開眼の儀式の際も、林邑人の特使・仏哲が日本に来ていたと言う記述があるほどだ。そ れにベトナムの舞楽、林邑楽を伝え、大仏開眼供養の儀式を盛り上げた。これは現代、日本の雅楽の中に伝えられているという。また正倉院に収められている天下第一の名香と謳われている、蘭奢待(らんじゃたい)は、ベトナム産と言われている。 ”蘭・奢・待”と言う名は、その文字の中に、東・大・寺の名を隠 した雅号である。奈良に都が置かれたのは、710年。ベトナムのハノイに都が置かれたのが1010年である。2010年には、ハノイ遷都1000年と平城京遷都1300年を一緒に祝う行事も、日越両国で行われた。

 添乗員だった昔とった杵柄、僕の即興ツアーガイドで、頼まれてもいないのにベトナム人家族やミッシェル、それにカトリーナらを前に調子に乗って訪れた各地であれこれ説明したものの、どこまで本当に理解してくれたかどうかは怪しいものだ。たぶん説明不足の部分は、彼らの写真撮影で克明にカバーしてくれたことだろうと思いたい、、、(笑う)

 時間は既に午後6時を回っていた。奈良駅近くの国道沿いの中華料理屋で夕食を摂った後、レンタカーで北上し、今晩の宿である京都グランドホテルにチェックインした時は午後10時近くになっていた。東京全日空ホテルの二の舞はごめんとばかり、 直ぐさまミッシェル、カトリーナ以外のメンバーを集め、トイレ使用方法、並びにビュッフェの朝食を外に持ち出さないよう通達したのは言うまでもない。とは言え、ここのホテルは古く格式のある宿なので、バスルームの装備品は、至ってオーソドックスで説明するまでもなかった。それでも、館内は重厚な作りで、京都らしく祇園祭をモチーフにした大きなカーペットがロビーフロア一面に敷き詰められ、中庭に広がる美しい日本庭園に感動!  帝国ホテルやホテルオークラに勝るとも劣らぬ、ライトアップされた幻想的なそれに、我ら一行は、奈良からの旅の疲れも忘れ、しばし写真を撮ったりして過ごした。既に夕食は終わっているので、今夜は寝るだけだ。めいめいそれぞれの部屋にて休 んだ。

さて、明日は京都市内観光。この模様は次回にてご報告しよ う。乞うご期待!

 

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