Column

2020/03/01

日越結婚物語「第12回:新婚旅行 京都編」

前回までのあらすじ

1994年にホーチミン市へ赴任した僕は、ベトナム人女性と運命的な出会い をし、半年でプロポーズ。紆余曲折を経て、晴れて身も心 も夫婦となりベトナムでの毎日を過ごしていた。ある日、直属の上司であ る日本の社長から、仕事の進捗を報告がてらに日本旅行でもと厚意を受け、帰国の折に結婚披露宴を開くこととなった。妻を始め義父母も海外旅行は初めて。道中、慣れぬ中、色々あったものの、やっとの思いで僕の実家に到着。そして、1995年 11月23日、それぞれの両親や親戚、悪友、知人などから祝福を受け、岐阜羽島で披露宴が行われた。披露宴の余韻に浸りつつも、僕らは新婚旅行へ旅立った。名古屋&岐阜、 東京、そして関西へ。今回は前回の奈良に続き、「関西編・ 京都」。これで新婚旅行も終わり、ベトナムへ。そして、第一章終回である。

できちゃった! できちゃった!!

 ここで同行しているミッシェルとカトリーナについてここで少し触れておかねばならない。もともと彼らはそれぞれ個々の僕の友人として、前者はフランスから、後者はスペインからやってきて、今回の日本訪問で初めて知り合うことになったのだが、2〜3日前からやけに二 人の親密度が増しだした。”どうやらできているらしい、 、、” 京都の宿の部屋割りは僕とかみさんは同室としても、ミッシェルと義父が同じ部屋で、義母と妹のフエン そ れにカトリーナの3人に一部屋を与える積もりでいたが、ミッシ ェルから、

「カトリーナと仲良くなったので、彼女と同じ部屋で 一室にしてくれないか」

と頼んできた。

「もちろん、カトリーナさ え良ければ構わないけど・・・」

と、二人に告げると彼女は多少 の恥じらいもあってか、舌先をペコちゃん人形のようにぺろっ と出し、ウインクして寄越したので、ならば彼ら二人のために 部屋を設けてやった。さすがミッシェル!  フランス男だけのことはある! なかなか手が早い、、、w

 明くる朝7時半に起床。皆と連れだって朝食を採り終わると、恒例となった”朝食の持ち出し禁止”をかみさんから皆に徹底させ、念入りに各人の鞄の中を確認してから、ロビーへ集合させ宿をチュックアウト。件のレンタカーに荷物を積み込み、一路、太秦映画村に向けて出発!!  映画村を選んだ理由は、外国人に日本の歴史を知って貰う上で、時代 時代の風俗や服装等を理解させるのに一番適した場所だという判断からだ。

太秦映画村とカトリーナの平手打ち

 現地に到着し早速、ぞろぞろと映画村へ入ってゆくと、思った通り、 みな見るものに興味津々で、道行く役者や家屋、展示品に目をこらしていた。とある一角で、義父母は、新撰組隊士たちの顔だけくり貫いた写真撮影用のボードで足を止めて二人でひそひそ話していた。おもむろにかみさんを通して、この看板はいくらか尋ねて来た。

「なぜ?」

と、僕は耳を疑って聞き返した。訊 けば、家の庭に飾りたいのだという。

「飾ってどうするの?」

と 更に突っ込むと、故郷ソンラの人たちへの土産として持ち帰りたいと言う。これがあれば村の人々へ日本旅行した気分のお裾 分けが出来そうだからと、、、。義父母の気持ちが判らぬわけではなかったが、二人にはこれは観光客用で売り物ではない事を話し諦めて貰った。その代わり義父母には新撰組のダンダラ模様と背に“誠”と染め抜いた隊士風法被を買い求め我慢してもらう。

 さて、同じ頃、ミッシェルはといえば、茶店風の喫茶店で日本髪のズラを被り、着物を着たウエイトレスさんたちの姿が気に入って次から次へと2ショットを撮りまくっている。そこをカトリーナが妬いて見咎めた刹那、パッシーーンとミッシェルの左頬を打つ音が響く! 幾ら映画村に来ているからっといって、ここまで劇的にパフォーマンスしなくてもと思ったが、こんなところに首 を突っ込むほどこちらも野暮ではない。見なかった振りをして火の粉が降りかからぬよう難を避けたのだった。もっとも、かみさんやベトナムの身内がいなければ僕もミッシェルと同様、調子に 乗っていたことだろう(笑)。

それぞれの旅立ち

 昼は南禅寺で湯豆腐。ベトナムにも豆腐や湯葉の類はあるので、同行のベトナム人にとっては味馴れたものの、西洋人の二人にはいささか不評だった。が、まあそこはご愛嬌。軽く聞き流し、京都観光は続く。嵐山、金閣寺・銀閣寺、そして清水寺と、、、行く先々で、たくさんの想い出を綴りながら、、、、一通り観光を終えると日本での最後の宿、関空ホテルに空港返しのレンタカーで向かった。ホテルには午後8時に無事到着。皆、旅の疲れがドッとでたのか、そのまま何事もなく一夜は過ぎ、翌朝、ミッシェルとカトリーナは僕らより早い便で、前者はパリへ、そして後者はマドリッドに向けて飛び立つ彼ら二人を空港で見送る。

 

 当然のことながら、彼ら二人は別々のフライトだ。それぞれの出発時間は2時間差がある。にも拘わらず、遅い方のフライトのミッシェルはカトリーナを気遣ってか、名残惜しいのであろ う、一緒に出国手続きに入っていった。彼らとの別れは、互いにフレンチスタイルで、頬に三回キスして手を振り見送った。二 人が目の前から消えると、何だか胸にぽっかり穴が空いたような感じがした。たぶん、僕のベトナム人家族一人一人も同じ気 持ちに浸っていたと思う。やがて、僕らの搭乗時間がやってき た。日本の想い出を胸に刻み、僕らはベトナム・サイゴンに向 け新たな人生のテイクオフ。果たしてどんな人生が待っている のだろうか。期待と不安を胸に、一行は機上の人となったので ある。

お土産と義父母の思い

 最後に、ベトナム人一行の日本土産について是非、ここに 書いておきたい。これまでの旅行中、ミッシェルやカトリーナ は、それぞれ身銭を使い適当に欲しい小物などをそれぞれ の観光地で土産物として求めていたが、義父母もニュン、そ れにかみさんまでも、自分たちの口から

「あれが欲しい、これが欲しい」

と言ったリクエストを不思議なほどなされなかった。 もちろん新選組の写真撮影用看板を除きだが、、

 それこそ、弟・知紀がディズニーランドで目印の為に買った風 船ぐらいのもの。僕自身、一行の引率などに注意が取られ、 これまでみんなの土産にまで気が回らなかったせいもある。 しかし、明日は日本最終日。なので、改めてベトナムの家族に、

「土産に何か欲しいものがあれば、遠慮なく言ってね」

とかみさんを通じて伝えた。すると一瞬、妹のニュンが目を輝かせたのを僕は見逃さなかっ た。そこで「何が欲しいの?」

と優しく訊ねると、義父が怖い目でニュンに向かって首を振る。かみさんも妹に、何かを諭しているような素振り。

一体どうしたのか、かみさんに理由を尋ねる。が、

「なんでも ない」

と繰り返すだけ。おかしい、、、、何か隠している、、、、。 そうこうしていると義父が、何かを語り出した。かみさんがそ れを訳して僕に伝える。

「息子よ。我々は日本に来ることがで き、娘の結婚披露宴にも出席し、尚且つ国内旅行にも連れてきて貰い、充分楽しんでいる。君ら二人はこれからの生活があり、これ以上、散財させるには忍びない。だから、お土産は 必要ない」

と、、、、、。これを聞いて、正直、僕はショックを受 けた。その一方で、感銘も受けた。その理由は、 僕自身がまだまだ収入が低くくこれからの婿であると見抜かれたこと。当時広く囁かれていた、まことしやかな噂話として、貧しいベトナムでベトナム人女性と所帯を持つと言うのは、つまりその 女性の親族郎党と金銭面で結婚することと同義とされていた。だから僕自身、心のどこかでベトナム人の身内に対して、そういう心構えでいたのだが、この義父母の言葉は、それを完全に打 ち消すものであった。事実、この後、僕ら夫婦が独立し起業し てからも10年間は、旧正月に義父母へお年玉を送っても、一 切受け取らず、事業が軌道に乗るまで「おまえたちの仕事に活かせ」と頑なに受取を拒否したほどである。

 一年に亘り書き綴った「出会いから新婚旅行日本まで」の 第一章は、今回で終了です。永らくのご愛読、誠に有り難う ございました。次号からは、第二章として、ベトナムで夫婦二 人・波瀾万丈の新たな生活を綴って参りますので、どうぞ、引 き続き、宜しくご期待のほどをお願い申し上げます。

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